フォルサ若松フットボールクラブ(フォルサ若松FC)40周年記念
祝辞
指導部長 有吉 章二
神栖市サッカースポーツ少年団が40周年を迎えた事を心からお祝いするとともに、自分がこの場を通じて成長させていただいた事に改めて感謝とお礼をさせていただきたいと思います。
私がスポーツ少年団活動に関わり始めたのは、長男が旧波崎町の柳川小学校に入学した1993年、まさにJリーグが発足した年でした。
当時、ようやくサッカーがメジャーなスポーツとしてテレビなどで中継されるようになり、長男も柳川小で当時の柳川サッカークラブ(SC)の子供たちが木曜日の放課後のグランドでサッカーをやっているのを見て「お父さんサッカーやりたい」と言ったのがきっかけでした。当時の柳川SCの指導者は、飯田さん、小林さんの2人だけで、私が会社で遊びのサッカーをやっているのを知っていた小林さんに「有吉さんサッカーやってっぺ、指導者やってくれよ」と頼まれ、息子がお世話になるのに、何もしないのも申し訳ないと安易に引き受けたのが「泥沼」への第1歩でした。それから、早や22年「泥沼」に首まで突っ込んでこの40周年を迎える事になりました。
私は、サッカーの経験はありませんでしたが当時の三菱油化に入社し、サッカー好きの上司に足が速いからというだけの理由でサッカーをやれと言われ、元来の安直な性格から当時会社の2軍でサッカーを始めました。元々陸上の迷選手だったので、足にはかなり自信がありましたが、サッカーの指導は受けたこともなく、現大野原SSSの坂本さんや、元太田FCの渡辺さんに、インサイドキックやゴールキーパーのキャッチやセーブを教えてもらいました。こうした皆さんとサッカーを始めた訳ですが、この時「ボールと遊ぶ」「仲間とサッカーを楽しむ」「仲間のために頑張る」「負ける悔しさ」「勝つ楽しさ」そして「勝つために仲間と話し合う」という陸上競技には無い楽しさも数多く教えてもらいました。
柳川SCの指導者を始めた当時は3人の指導者で練習を指導していましたが、なにせ3人しかいない指導者なので2人が用事で出られない時は、1人で1年生~6年生までの約30人を指導する事になり、学年別に何を教えるではなく、低学年を中心にケガをさせないようゲームをさせるなど、苦肉の策を駆使して何とか指導していました。今思うと隔世の感があります。
現在は、各少年団とも熱意ある指導者が増え、技術のレベルも上がり年老いた私が教えられる事も少なくなってきましたが、子供たちにサッカーを楽しむ事、サッカーを好きになってもらう事だけはまだまだ熱意を持って教えていけると思って取り組んでいます。
今後も神栖市サッカースポーツ少年団は50年、60年と常に前進していくものと思いますが、この活動が、子供たちのためにサッカーという集団スポーツを通じ、仲間と一緒に勝つ喜びや負ける悔しさを分かち合い、その中で健康で健全な心身を育む事を目的として活動しているという原点をいつも心に思い起こし、また諸先輩に教えてもらったサッカーを楽しむ心を子供たちに伝えていくのも我々指導に携わる者の義務だと思います。これからも関係する皆さんが協力しあって更に活発な少年団活動となる事を祈念しています。
最後に、冒頭に「泥沼」と2回も書きましたが、これまで多くの良き先輩諸氏に導いていただいた上、子供たちが一生懸命にサッカーをする姿を見る楽しみをもらい、加えてそれが自分の健康づくりの一助になっている事を思うと、境川会長には怒られましたが、やはり「泥沼」ではないな・・・と反省。
「神栖市サッカースポーツ少年団 万歳!!」
育成部 三河 孝子
息子がお世話になったフォルサ若松サッカー少年団。
設立14周年おめでとうございます。
須田小学校の須田レッドイレブンSSSと柳川小学校の柳川SSSが2001年に合併し誕生したフォルサ若松FC。「フォルサ」はイタリア語で「頑張れ」の意味で、その名のとおり、指導者、子供達、育成部が一丸となり活動しています。
低学年の頃は遊び感覚でサッカーをしていた子供たちが、試合を重ねる毎に今では「強くなりたい。上手になりたい。」とサッカーやその他の事にも前向きに取り組むようになりました。
そんな子供達を垣間見る事が出来た育成部の活動である初蹴りやバーベキュー、卒団式(6年生を送る会)等の行事では親子でサッカーを行い子供達の成長を身近に感じることが出来ました。そして親としても貴重な経験をすることが出来ました。
サッカー少年団活動ではサッカーを通して『社会的なルールをきちんと守れる子供』、『協調性』を育んでいただきました。
コーチの皆様方の温かい愛情と指導に深く感謝しております。
これからも「フォルサ若松サッカー少年団」の益々のご繁栄とコーチの皆様方のご活躍、そしてご健康をお祈りいたします。
フォルサ若松FC キャプテン6年 三河 和矢
「フォルサ若松FCの一員として」
僕は、フォルサ若松FCに入団し、指導者から色々なことを学び、経験することによって、沢山のことを吸収できました。
サッカーを始めたきっかけは、鹿島アントラーズがリーグ3連覇をしたニュースを見て、サッカー選手は『カッコイイ』と思い、それがきっかけで始めました。そして、少年団に入団して始めの頃はなかなかボールに触れなかったのですが、試合を重ねていくうちに、ボールに絡める様になり、1年生の時の市内リーグで、初ゴールを決めた時は嬉しかったです。
サッカーが上手くなるには、技術・速さ・判断力・視野の広さが不可欠で、その為には、コンディション調整や毎日の練習が大切だと学びました。チームが強くなるには、声出しやパスワークが必要だと学びました。また、大人との交流が増え、挨拶や言葉使い、チームワークの大切さなど沢山の事を教えて頂き、自分の為になり、そして成長したと思います。
この環境の中でサッカーをやれたことは、指導者・育成部・お父さん・お母さん、そして地域の方々のおかげだと思います。『ありがとうございました。』
卒団生指導者 幸保 宏和
『俺、サッカーやったこと無いですよ』3年前、一育成部の私に、一緒に指導者をやってみないか?との誘いがあった。その時の第一声だ。
私のサッカー人生が始まった時の第一声と言っても差し支えないだろう。長男が4年生、次男が2年生に当時だ。
それからは息子達よりもサッカー漬けだった。チーム練習、親子で個人練習、家ではサッカーの書籍を読みふける。何が正解かも分からない中、書籍から学び、先輩指導部から学び、選手達から学ぶ、サッカーを考えない日はない生活だ。我ながら充実した日々を過ごしている。
私の学生時代と言えば、同じ芝のグランドで有りながら、円形ではなく楕円形のボールを追いかけていた。競技名まで言わなくても察していただけるだろう。
同じグランド上で行うスポーツであり、
「己を殺し他を生かす、全てはチームのために」
の精神は通ずるものも有った。
指導者になる以前は、息子達がサッカーを通して成長する過程を見ている事が楽しいだけだったが、指導者も日々成長するのだろう、2014年の今では自分の息子達そっちのけでチーム活動優先になってしまった。まさかの息子の試合も見に行けない。本末転倒、夫婦冷戦状態である。「嫁」と試合も見に行けない「息子達」には頭が上がらない(笑)。
・・・さすがにこれ以上はボロが出そうなので、ここまでで取り止めておきたいと思う。
最後に神栖市サッカースポーツ少年団創立40周年おめでとうございます。
ますますの発展を願っています。神栖市は40周年だが私のサッカー人生は始まったばかりだ。
歴代役員
団長 | 指導部長 | 育成部長 | |
平成26年度 |
小野 好次 | 高田 純也 | 宍戸 静代 |
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平成25年度 | 小野 好次 | 高田 純也 | 安田 智子 |
平成24年度 | 小野 好次 | 高田 純也 | 大木 洋美 |
平成23年度 | 小野 好次 | 有吉 章二 | 高橋 里美 |
平成22年度 | 小野 好次 | 有吉 章二 | 三角 いずみ |
平成21年度 | 小野 好次 | 有吉 章二 | 田中島 成美 |
平成20年度 | 小野 好次 | 有吉 章二 | 木村 節子 |
平成19年度 | 小野 好次 | 有吉 章二 | 野口 順子 |
平成18年度 | 小野 好次 | 有吉 章二 | 松島 妙子 |
平成17年度 | 小野 好次 | 有吉 章二 | 高柳 のりこ |
平成16年度 | 小野 好次 | 有吉 章二 | 佐藤 隆子 |
平成15年度 | 小野 好次 | 松尾 直樹 | 鈴木 牧子 |
平成14年度 | 小野 好次 | 松尾 直樹 | 花塚 |
平成13年度 | 殿塚 実 | 松尾 直樹 | 松尾 |
平成12年度 |
殿塚 実・小林 重二 | 松尾 直樹・飯田 哲 | - |