波崎太田フットボールクラブ(波崎太田FC)40周年記念
祝辞
波崎太田FC団長 工藤 一美
神栖市サッカースポーツ少年団創立40周年を迎え、心より祝福しお祝い申し上げます。
40周年を迎え、携われた多くの先人の方々の我々には計り知れない多くの困難を克服し、また並々ならぬご努力に敬意を表します。
平成18年8月に神栖市政が誕生し、翌年よりサッカー少年団は対等合併という形で神栖町と波崎町が融合し、「青少年の健全育成」を柱として活動を続けて来られた先輩方の思いを裏切ることなく活動を継承していく所存でおりますので、今後とも見守っていて下されば幸いに思います。
さて、太田FCの活動についてですが、現在まで太田FCを支えてこられた保護者、卒団生、指導者の皆様方のお力添えを頂いたおかげで、現在も少年団活動が続けられていることに感謝致します。
最近では、少子化・価値観の相違・子供達を取り巻く環境変化などの理由からか、団員数の減少により団活動の存続も危ぶまれるところではありますが、太田小学区単独チームにこだわりと誇りを持ち、太田FCでの活動と経験が育成部を含めた皆さんの貴重な経験になって貰えれば!
の思いを胸に、「実はお父さんは太田FCの団員だったんだぞ!」と誇らしく胸を張って言って貰えるような組織を目指し、これからも一緒になって活動していきたいと思います。
今後も、地域に根差した少年団として、努力・思いやり・感謝・積極性・協調性を大切にし、過去の栄光(茨城県学年別準優勝・バーモントカップ第3位・全少第4位)を忘れずに、何年かに一度は県大会で大暴れしてくれるようなチーム作りを目標に、関係者の皆様方に復活を誓います。
もちろん、我々指導する立場の環境も変化してきており苦労することもありますが、世代交代を視野に入れながら原点回帰(初心を忘れることなく)信念と情熱をもって、これからも団を越えて協力し合い頑張っていきましょう。
今後も太田FCはもとより、神栖市サッカースポーツ少年団の活動が盛況に盛り上がっていくことを心よりお祈り申し上げます。
育成部長代表 多﨑 浩子
神栖市サッカースポーツ少年団設立40周年、おめでとうございます。
我が家では長女(中三)、長男(中一) 、二女(小四)と3人の子供達が1年生からお世話になっておりますので、太田FCでの活動も9年目になります。
40年という長い歴史の中で、たった9年でも少年団活動に親子で関われた事を大変に有り難く思います。子供がサッカーを通して身体的、精神的に成長させて頂いただけでなく、親も親として、とても大切な事を学ばせて頂いたと思うからです。
9年間を振り返れば、思い出は沢山ありますが、何よりも指導部の方々への感謝の気持ちがこみあげます。長女が4年生の時、育成部の役員をさせて頂きましたが、その時初めて指導部の方々の本当のご尽力を知りました。たった7名のコーチ陣で全学年の練習予定を変更無しに実行し、更に定例会議への出席、遠方までの大会抽選会、大会の時には子供達は解散しても、残って審判をして下さる。
子供達がサッカーをする為に、指導以外にもプライベートな時間を沢山割いて頂いていたのです。そのため、指導部のご家族の方にも見えない所で沢山のご理解とご協力を頂いている事に気が付きました。子供達への指導は仕事ではなく、ボランティアですから、親にも出来ない事をやって頂き、本当に感謝の気持で一杯です。
以来、私達育成がまず感謝の気持を行動で表し、子供達に伝えていかなければいけないと思っています。
更に、高学年になると、トレセン活動に参加させて頂き、子供達がサッカーをするという事は、少年団単位だけではなく、神栖市のサッカー協会全体で育てて頂いていると実感しました。長男は6年生に上がるとすぐに膝を骨折し、以来ケガの連続で殆ど動けなくなってしまいましたが、トレセン最後の福島での大会に参加させて頂きました。その時、軽野東のKコーチが「俺はあいつと心中する!」と長男を起用して下さったと聞きました。
涙が出ました。長男に賭けて下さったKコーチ、心中するハメにならずにホッとしています。
他にも最後まで励まし続けて下さった大野原のNコーチ、Kコーチ。本当に沢山の方々に支えられサッカーが出来る、恵まれた環境に感謝せずにはいられません。
サッカーを始めた頃は試合に勝つ事を目標に応援していましたが、今では結果より、試合の内容を大切に観る様になりました。
日々の練習の中で、コーチから教えられた事、注意された事を真剣に聞き、それを実行したり、修正したりしようと努力するか?それがとても大切だと思うからです。
どんなに頑張っても勝てない事も多々ありますが、試合時間一杯に、最後まで諦めず頑張ってくれれば、その姿が指導部の方々と、コーチを支えるご家族への精一杯の恩返しになると思っています。
我が家の少年団活動も残すところあと2年。
最後まで精一杯、感謝の気持を忘れずに太田FCと神栖市サッカー協会を盛り上げ、親も子も成長していきたいと思います。
波崎太田FC キャプテン 宮口 海都
「波崎太田FCに入団して良かった事」
2年生の時に友達が誘ってくれたので、やってみようと思い入団しました。
はじめは何もわからなかったけど、友達や先輩たちが優しく教えてくれました。太田FCでは、上の学年の試合に出させてもらったりもします。すごく緊張しますが、ミスをしてもみんなでフォローしてくれました。とても頼れる先輩たちでした。だから僕も六年生になったら、そんな頼れる先輩になりたいと思いました。
神栖ロータリーフットサル大会で優勝したときは、最高にうれしかったです。みんなの心がひとつになったので勝てたのだと思います。優勝カップをもってとった写真は、みんなすごい笑顔でした。僕はヘディングをよくします。それは、相手よりも先にボールにさわるためです。そして仲間へ、ゴールを決めてくれ!という思いを込めて、パスを出します。仲間にパスが通ったときは、すごく気持ちがいいです。
一番感謝していることは、コーチ達が僕たちのために、たくさんの練習する機会をつくってくれたことです。
試合の日には、夜勤明けでも来てくれます。放課後の学校練習や、夜の総合グランド練習にも、仕事を終えて駆けつけてくれたりもします。だから優勝できたのだと思います。
祝勝会や親子サッカーや六年生を送る会も、楽しみです。お父さんやお母さん達が、太田FCを盛り上げるためにひらいてくれます。一年生から六年生までみんな一緒に、もりあがります。
このように、僕は、仲間・先輩・コーチ・父母と色々な人たちに囲まれて、支えられて、サッカーができています。夢中になりすぎて忘れてしまうときもありますが、感謝の気持ちを忘れずに、これからもサッカーを続けていきます。
卒団生 佐々木 将之
神栖市サッカースポーツ少年団創立40周年、誠におめでとうございます。
私は小学校1年生のときに波崎太田FCに入団しました。
波崎太田FCで過ごした6年間のことは今でも鮮明に覚えています。
サッカーの技術だけではなく、あいさつ、礼儀など人として大切なことも学ぶことができました。
また5年生の時からキャプテンに任命され、キャプテンを務めることで責任感とリーダーシップを養うことができました。太田FCを卒団した後も、中学、高校とサッカーを続けました。
私がここまでサッカーを続けてこられたのも、これだけサッカーを愛するようになったのも、すべては波崎太田FCで過ごした6年間、コーチたちの熱いご指導と家族と周囲の方々の支えがあったからこそだと確信しています。
昨年、高校を卒業して社会人となりました。以前よりサッカーに携わる時間が減っていくこと、あの時にもっとこうしとけばよかったという後悔にもどかしさを感じながら毎日を過ごしています。
今のサッカー少年たちには大人になってから、「もっとこうしておけばよかった。」と後悔しないように、そして、もっとサッカーが上手くなりたいというひたむきな気持ちを持ってサッカーと向きあってほしいと思います。
これからの神栖市サッカースポーツ少年団の益々の発展とサッカー少年たちの活躍・成長を祈りましてお祝いの言葉とさせていただきます。
年度戦績
歴代役員
団長 | 指導部長 | 育成部長 | |
平成26年度 |
工藤 一美 | 内藤 徳夫 | 萩原 正雄 |
---|---|---|---|
平成25年度 | 工藤 一美 | 内藤 徳夫 | 丸山 房典 |
平成24年度 | 工藤 一美 | 内藤 徳夫 | 安藤 精司 |
平成23年度 | 工藤 一美 | 内藤 徳夫 | 小田 直樹 |
平成22年度 | 工藤 一美 | 内藤 徳夫 | 平野 孝徳 |
平成21年度 | 工藤 一美 | 内藤 徳夫 | 伊藤 昌幾 |
平成20年度 | 工藤 一美 | 内藤 徳夫 | 高柳 和剛 |
平成19年度 | 工藤 一美 | 内藤 徳夫 | 佐々木 智子 |
平成18年度 | 工藤 一美 | 内藤 徳夫 | 青柳 優男 |
平成17年度 | 工藤 一美 | 内藤 徳夫 | 平元 勝 |
平成16年度 | 工藤 一美 | 渡辺 幸夫 | 内田 貴之 |
平成15年度 | 工藤 一美 | 渡辺 幸夫 | 熱田 三木雄 |
平成14年度 | 工藤 一美 | 渡辺 幸夫 | 唐士 公生 |
平成13年度 | 工藤 一美 | 渡辺 幸夫 | 野口 誓志 |
平成12年度 | 工藤 一美 | 渡辺 幸夫 | 青柳 幸一 |